つるぽか開発物語

子供の頃はラジオ少年

酵素風呂の素「つるぽか」をどうして開発することになったのか?今思い返せば酵素風呂の素「つるぽか」には今までの自分の人生上の経験がすべて生かされているように思います。それについてお話してみたいと思います。

子供のころの私はラジオ少年でした。そのころはまだアナログ全盛時代で集積回路ICはなくテレビにも真空管が入っていたように記憶しています。中学生のときに真空管でラジオを作った記憶があります。

20歳のころマクロコンピューターが初めてこの世に現れます。その数年後アメリカではマイクロコンピューターをCPUにフロッピーディスクを外部記憶装置とするOS-CP/Mが現れFORTRANが稼働していました。スティーブジョブスがアップルを作ったのもこのころです。

当時バイトでためたお金、たしか80万円くらいをつぎ込んで基板を買ってきて自作でCP/Mを走らせてました。

8インチのフロッピーディスクドライブ1台が16万円だった記憶があります。そんなこんなでマイコン応用製品を開発する会社を興して42歳まで東京で暮らしていました。

酵素風呂の素は、お漬物を漬ける発酵とはまったく違い、エアーポンプで空気を吹き込みながら水中ポンプで撹拌しながら発酵させます。

加えて発酵液に直接に高周波交流を流して発酵液自体を導体として加熱しながら発酵させています。

つるぽかの発酵は自動制御でないととんでもなく臭いものになったり、発酵の泡で液のほとんどがあふれ出てしまったりします。酵素風呂の素は自動制御でないと作れないのです。

このとき身につけた電子回路を設計製作する能力が酵素風呂を作るのに役立っています。

農業へ転身

20年間くらい東京に暮らしてこの仕事をやっていました。そのころの私は仕事に関係する本は読むのですが、関係のない本はほとんど読んだことがありませんでした。

技術屋の仕事は一日中が回路との格闘で本を読む時間がなかったのです。もうすぐ40歳という頃それではいけないと思い、読書を習慣づけることにしました。

はじめは苦痛でしたが、我慢して読んでいるとしだいに慣れて本の内容がどんどん頭のなかに入って来るようになり、本の中に現れる自分の知らなかった世界、考え方をおもしろいと感じるようになってきました。

そのころ読んだ本のなかにそれまでの私の人生を変えてしまった本があります。それは福岡正信著「わら一本の革命」という本です。この本で私は変わってしまいました。その後農業をやるのですがきっかけはこの本です。

なにか体の中から、心の奥底から変わってしまい、仕事に対しての意欲もわかなくなってしまいました。依頼された仕事はちゃんとできるのですが、それまでは感じていた完成後の達成感もわかなくなってしまったのです。

私は経営者だったのですがそんな状態では続けられるわけもなく会社は後輩に譲り、高知に帰り農業に転身することにしたのです。このとき42歳でした。

大失敗の農業

高知に帰ったのですが農業が始められるまでにさらに2年かかりました。「わら一本の革命」を読んでからたぶん5年くらいかかったと思います。今から考えれば無謀なことをしたと思うのですが、私は情熱を傾けられる目標がないと生きて行けません。生活費を稼ぐためだけに働くということができません。

農業はそんな私にはぴったりの仕事だとその当時は思いました。高知に戻ってハイポニカでトマトの水平栽培をはじめたのでした。

ハイポニカのトマト水平栽培は、1m×3mのプールの中に根を広げ、地上部は頭上に張り巡らした網の上に直径6mまで枝を伸ばし、頭上になったトマトを収穫する栽培です。

トマトの水平栽培

ハイポニカのトマト水平栽培は1本の木から1万個以上の実を収穫する栽培で、当時の技術屋出身の私の目には魅力的で将来性のあるものに見えたのでした。

しかし実際にやってみると問題だらけでした。気温の低い半年はおいしいトマトが取れるのですが、気温の高い半年は色の黒いまずいトマトしかとれませんでした。黒いトマトはすぐ柔らかくなり市場からクレームをもらってました。

それに収穫量の変動がとても大きく激しく、さっぱりとれない日が続いたあとで1日で収穫しきれないぐらいドカッととれたりしました。そんなときは収穫が多すぎて、収穫しても捨てることになったりしました。

たくさんとれても味が良ければ売れるのですが、たくさんとれるときはまずいときで時間をかけて収穫しても黒くてまずくてやわらかくてすぐブヨブヨになるトマトでした。

原因は水中の根が細菌で傷み正常に肥料を吸収できなくなるためです。当時はまったく原因がわかりませんでした。

糖尿病の入り口と診断される

トマト栽培をはじめたのが2000年で、数年たったころ健康診断で糖尿病の入り口にいると診断されました。トマト栽培は儲からないし、贅沢してるわけでもなく、なんで糖尿病なのかと思いました。でも歯も悪くて歯槽膿漏だったので、糖尿病になりやすい体質だったかもしれません。

糖尿病の入り口と診断されたので、自分でも何かやってみようと思ったのが酵素でした。農業をやっているので農業関係の雑誌を定期購読していたのですが、現代農業という雑誌に農業で使う酵素液の特集があって、その記事が記憶に強く残っていて、酵素を自分の身体にもやってみようと思ったのです。

そして飲む酵素を使い始めてしばらくたち、再度健康診断を受けたら、糖尿については、何も問題ない数値にまで戻っていました。自分で感じる体調も以前より確かに良くなり、このとき「酵素はすごいな!」という印象を持ったのでした。

酵素液が問題を解決

その後、栽培をトマトから葉物野菜栽培に切り替えます。トマト栽培は冬の間は暖房が必要で、一冬の暖房費は100万円を超えます。100万円をトマトで稼ぐのは至難です。なので暖房が不要な葉物野菜に転向することにしました。

ミニセロリの水耕栽培

葉物野菜は栄養成長だけなので暖房不要で、冬でもすくすく育ちます。でも暖かくなってくるとトマトと同じ問題が起こりました。やはり根が傷んでしまい、品質が低下し、収量が落ちて、最悪全滅してしまうのです。

このときに酵素のことを思い出します。酵素は有機物を分解する機能を持っています。根から出る老廃物は有機物ですから、酵素で分解できるかもしれないと考えたのです。

有機栽培は連作障害が起きにくいのですが、理由は有機栽培で使用する堆肥が発酵肥料であり酵素が含まれているためです。水耕の葉物野菜の栽培でも発酵液を養液に混ぜてやれば、問題解決できるかもしれないと考え、やってみることにしたのです。

やってみると思ったとおりでした。酵素を入れてやると、1ヶ月位で効果が現れ、味の良いずっしり重いものが取れます。重いので収量も増えるのです。酵素液が水耕栽培の問題を解決したのです。これは大きな発見でした。

酵素液で腰痛がとれた

ちょうどこのころのある日、農家仲間が集まって行う共同作業がありました。一年かけて作った堆肥を希望者に配達する作業です。それは冬の寒い日で、一日中野外での作業でした。朝はなんともなかったのですが夕方になって腰が痛くなってきてしまったのです。今思えば腰が冷えて血流が悪くなったのだと思います。そしてその日の夕方からずーっと1ヶ月間、腰痛がとれませんでした。

もちろん何回も湿布したりしたのですが痛みがとれません。そして約1ヶ月たったころ酵素のことを思い出します。自分の作った酵素液をお風呂に入れたら酵素風呂になるはずだと思いついたのです。酵素風呂で腰が治るかもしれないと思いついたのです。それで栽培に使っている酵素液をお風呂に混ぜて入り始めて一週間、なんと1ヶ月間痛かった腰が治ってしまったのです。

これが発酵液のお風呂が身体を温めて血行を良くすることを発見した瞬間です。

これがきっかけになり、自宅のお風呂が酵素風呂にできれば、お風呂に入るだけで健康になれると思いつき、真っ黒でどろどろした農業用の酵素液でなく、お風呂用に使いやすい酵素液を作る研究をはじめたのでした。それから現在まで8年が経過しました。

今現在の酵素液は、においがとれてサラサラになって日持ちがしてよく温まるものになりました。ここまで来るまでには、他にも問題があったのですが、そのつど自分の今までの経験が解決策を見つけてくれました。たとえば酵素液を水道水で作るにはミネラルが必要なのですが、それは水耕栽培の肥料を調合するための知識が解決策を見つけてくれました。

農業は、事業としては大失敗だったのですが、酵素風呂に使用するための酵素液を作るには必要な経験だったのです。若いころに身につけた電子回路設計制作の能力が、使いやすい酵素液の製造に役立っています。そうやって考えると、自分の人生経験から「つるぽか」が生まれたのでした。

回生堂 桑名 敏寛(製造部)